身辺整理をしていると、昔のブログが何故かまだ残っていて、当時の苦しさとか、変わってないところとかがあって、というか何も変わっていなくて、これは筋が通ったままと捉えるべきか成長してないと捉えるべきか悩ましい。。7年前か、、
死ぬことについて考えている
- 2017/07/30
- 01:41
せっかく社会復帰したけど、久しぶりに死ぬことについて考えている。
久しぶりに線路を覗いた。
最近読んだ本のテーマ
”どうせ絶対誰もが必ず死ぬのに、なぜいま死ぬことがダメなのか。”筆者の結論は、
残された者に深い後悔や絶望を与えるから。
それが殺人並みに罪深いことだから。分からなくもない。
私も重度に考え込んでいた頃は、どうにか不慮の事故で死ねないものかと願った。
自殺ではなく事故なら、親が一般的な形で悲しめるから。親が、特に母親が死ねば、何も気にすることなく自由に死ねると思った。
バイトに出て、正社員になって、社会復帰できた時、もう20代終盤。
なんとなく焦って出会いの場に参加すると楽しくて、遊び倒した。
学生時代に味わえなかった青春を謳歌した。趣味も何でも挑戦した。やりたかった事や誘われた事はやり尽くした。
仕事は簡単だった。
つまらなかった。転職する時に1ヶ月ブランクを作って、死ぬまでに絶対行きたかったサグラダファミリアへ行った。
仕事が始まるとやはりまとまった休みは取れない。
働いて働いて働いて。
遊び。
趣味。
だんだん虚無感に襲われるようになった。ウユニ塩湖が流行りだして、マチュピチュとセットで紹介されてて、
そう言えばマチュピチュも死ぬまでに行きたかったところ。世界遺産だとかをネットで検索するようになった。
現実逃避だったのかもしれない。
世界一周旅行も流行っていて、とても簡単そうだった。社会人を辞めた。
世界一周旅行を始めた。
死ぬまでに行きたかった場所を巡る夢のような旅。生きていて良かった。
旅行中に何度も一人で感極まった。
帰国後、またサラリーマンを目指すけどなかなか決まらない。
またあのつまらない日々が続くのかと思うと、どうにもやる気が出ない。死ぬまでに行きたかったところにはもう行ってしまった。
死ぬまでにやりたかった事というほどのものは特にない。結婚しようかなと思っていたのは、親孝行が主な理由だったと気付いた。
結婚したいわけじゃなかった。
子供なんて育てる覚悟が全くないことに気付いた。やりたかった事は結局、”早く死にたい”だ。
変わってなかった。ただ、あの頃よりスッキリした気持ち。
もう後悔なんて全然ない。
やりたい事はやりきった。
早く死にたいは薄まっているような気もする。
ちゃんと考えていない、もしくは考える時間が減ったとかそういう事もあるかもしれない。
改めて考えると、早く死にたいなぁという気持ちにしかならないけれど。